eyes to you

(LSD:あさや 様より)




瞼を開きいやに静かなリビングに意識を飛ばす。
ああ  始まった。


冬獅郎の朝はそう早くはない、が、遅いわけでもない。冬獅郎に比べればずっと融通が利くのだからと一護はマンション選びの際、特に希望地のようなものはなかった。事務所の近くのほうがいいんじゃねえのと冬獅郎に進言するほどだった。だからとりあえず冬獅郎の事務所まで電車でも車でも十分程度、好条件といえる場所に、二人はマンションを買った。
全国はおろか海外をも飛び回る己と、こうも長い間付き合い続けている一護がいくら淡白といえ寂しさを覚えないはずがない。それは理解している。ただまさか己の気づく形で一護が浮気をするなど冬獅郎は想像もしていなかった。
正直なところ、浮気の類を全くしていない、と言われるよりは健全かもしれないと思ったのも事実だった。一護とて男だ。そういう気分のときもあるだろうと思わないではない。ただ知らせないで欲しかった。気づかせないで欲しかった。己だけなのだという、それがたとえ夢想だとしても思わせ続けてくれるのならそれで構わないと、冬獅郎は少しだけ考えていた。
けれどやはり目の前にその事実と直面するとなると話は別だった。
それなり以上に傷ついた。傷ついて、それでも冬獅郎は自分が一護しか愛せないのだと知っていた。刷り込みに近い、のか、絶対的なのか盲目的なのか。ともかく一護でなければならないのだから仕方ない、と冬獅郎はその夜にあっさり諦めた。浮気はこれが初めて、なのだということは一護の様子で知れたことだった。それならば大丈夫だろう。大丈夫。冬獅郎は考えた。自分の匂いのついた檻の中に一護を引きずり込んでしまえばいいのだ。
とにかく冬獅郎は一護と結婚した。男同士である。だが結婚した。順風満帆だ。お互いの仕事は相変わらず不定期だったけれど。
そこまで考えながら着替えを済ませ、コーヒーをいれている間に朝食と、昼食に摘める程度のものを適当にこしらえる。つまりはサンドイッチを大量に作り上げたのだけれど、皿に乗せたそれらとコーヒーの湯気を立てたマグを手に、冬獅郎は一護の部屋へ向かった。

一緒に住むことを決めた折、二人は少しだけもめた。
互いに一人暮らしではあるものの大量の紙類を所持している身だった。つまり書籍だとか書類だとか資料だとかファイルだとか、そういったものである。その上お互い仕事部屋も必要だった。必要だろう、という認識が互いにあった。
一護は主張した。部屋をばらばらにしてそこで仕事も何もかもすればいい。それで済む。そうしよう。
冬獅郎は反論した。絶対に嫌だ。
憮然とする冬獅郎に一護は一瞬きょとりと瞬いた。想定外の返答だといわんばかりだった。当たり前だ。冬獅郎は今まで一度も一護の一護自身に関わる決定に反論したことがなかった。我が儘は何だって聞いていた。それが嬉しくて仕方なかったせいだ。
けれどこれは納得ができなかった。仕事部屋は居る。しかしてそれは仕事をするための部屋であればいい。言ってしまえば書斎だ。書斎で寝る必要は、どこにもない。
一護は最後まで抵抗した。最後の辺りは九十パーセント諦めてはいただろうけれども一応というように口だけは駄々をこね続けていた。否、真実こねていたのは冬獅郎のほうだったのかもしれなかったけれども。
かくて、寝室にはキングサイズのベッドが一つ、入れられることとなった。

閉ざされた扉の向こうにいる一護は冬獅郎がノックをして声をかけようとも恐らく反応しやしまい。けれどとりあえず礼儀として冬獅郎はノックをした。

「一護、入るぞ」

返事は聞かなかった。あってないようなものだということは長い付き合いの中にすでに見つけていたからだった。
案の定、薄暗い部屋に煌々とパソコンの明かりが覗いていた。細身の眼鏡をかけて眉を寄せたまま、一護は椅子の上で胡坐をかいて指先をキィボードへ叩きつけていた。見慣れた光景だった。脱稿直前なら何度だって見れる光景である。

「コーヒー飲むか」
「んー」
「もう朝だぞ」
「んー」
「ホラ、口開けろ」
「あー」

意識はパソコンで、視線もパソコンだ。指は動き続ける。まるで機械のように。
開かれた一護の口の中にサンドイッチを押し込む。咀嚼する姿を眺めながら冬獅郎は次に自分のコーヒーに口をつけた。口の中からそれがなくなるのを見計らって、もう一つ押し込む。
一護の創作活動の方法は少し変わっているのかもしれない、と冬獅郎は最近になってようやっと思い始めた。一護は延々資料を読み続ける。読み続け、その間は家事や会話も通常通りだけれども、ある日突然パソコン前から離れなくなる。じっと画面を見続けて指を動かし続ける。止まることがない。滞ることすら。そんな隙は見せはしないとばかり、指が動く。視線は流れる文字を追う。意識はその先を漂う。一護はまるで機械のように、全てを遮断して物語を作り上げる。

「一護、俺はもう出るからな」
「んー」
「…これ、全部食えよ」
「んー」

とりあえず机にあるものならば手を伸ばす。
そのことに冬獅郎が気づいたのは、一護が初めて倒れてからだったけれど。


電話に出ないのもいつものことだ。
一つため息を吐きながら携帯を仕舞った冬獅郎を見やり、乱菊がきょとりと瞬いて見せた。

「あれ?先生、一護出ないんですか?」
  俺は相手が一護だっつったか?」
「そういう顔してましたよ」
「そういう顔…」

緩んでいたのだろうか。
考え、思わず頬が引きつる。

「もしかして  原稿?」
「もしかして、だ。昨日の晩、風呂入ってからだな」
「はあ、なるほど」

乱菊は感心したように頷きをかえし、新刊ですかと続けた。その問いに冬獅郎は曖昧に肩を竦めるだけに留める。実のところ冬獅郎はあまり小説の類は詳しくはない。教科書に掲載されるような文学作品を読みはしてもそれは知識のためでありそれ以上の、いわば楽しみのためではない。そうして興味を持てない己を冬獅郎は厭っていたけれども、一護はそれに苦笑して構わない、無理して理解しようとしなくていいと言った。俺には俺の世界があるように、お前にもお前の世界があるから俺たちは上手くいってるんだよ、と。

「しばらく早めに切り上げる。いいな?」
「早く帰って、一護の世話してあげてください」

もう一護が倒れたなんて騒動はごめんです。
乱菊の言葉に、冬獅郎は神妙に頷いた。

冬獅郎の仕事部屋には整然と並べられた法律書の類と、それから一角だけ一護の書いた小説が並んでいる。それは全て冬獅郎が手ずから書店で買い求めたもので、それを知るたびに一護は少し擽ったそうな顔をする。俺のところにあるのに、といつも一護はいうが、冬獅郎は一護から貰ったから手元にある、のではなく、己が欲しいからこそ買い求めた、のだという事実が欲しかったのだ。それは少し子供染みているのかもしれなかったが、それでもそうでありたかった。手に入れれば必ず冬獅郎は読んでいるが、作り上げられた世界にあまり興味がないせいか法律書を読むよりもずっと進行が遅い。大抵が事務所に先についている乱菊に新刊読みましたと笑顔を向けられて苦く思う。乱菊はいつもいつも律儀にファンレターですといって手書きの一護への手紙を冬獅郎に託す。口で感想を言ったら先生は先が解って面白くないでしょう、というが、冬獅郎はあまりそういったことに拘らない。そのたびつくづく、己は面白みのない人間だと冬獅郎は考える。
弁護士など誰にだってなることのできる職業だ。試験にさえ受かればいい。ただそれだけのことだ。けれど小説家は違う。いわばギフトだ。神からのギフトがなければなることができない職業だ。欧米風にいえば、ということだが。
そういうわけで冬獅郎は一護をとても尊敬していた。口にしたことはないが、一護の職業をとても素晴らしいものだと考えているし、あまりにも特殊な、としか言いようのない状態に陥る一護を何度見たって冬獅郎は惚れ直す。そうして神がかったような方法で作り上げられるのは、人々の心を引き寄せる、一護だけの世界なのだ。

数日、仕事中に震えたプライベート用の携帯を取り出し、冬獅郎は瞠目した。普段はかかってくることのないその番号が登録してあるのは緊急の用事、と、唯一つ。
一護の脱稿の知らせである。

  井上か?久しぶりだな」
『冬獅郎くん、お久しぶりです。黒崎くんさっき脱稿したから!』
「原稿は?」
『今あたしが預かったよ。マンション出て駅に向かってるトコ』
「一護も一緒か?」
『ベッドに入るの、見届けました』

鍵はポストにちゃんと入れたからね、と織姫は楽しげに囁いた。編集者としての彼女がとても有能だと知らされたのは一護の口からだったか。それは身贔屓や口だけなどでない、本心の込められたそれだった。井上にはホントに世話になってるんだ、と一護は折に触れて口にする。一護が常日頃から読み漁る資料の殆どを織姫が集めていることを冬獅郎は知っているからこそ、そうして世界を共有できる織姫に嫉妬することもままあることだったが、それを冬獅郎はやはり一護に知らせたことはなかった。

「わざわざ悪いな」
『ううん、また黒崎先生に倒れられたら困るもの』

ここまで語り草にされていることを、恐らく暢気な一護は知らぬままだろう。

仕事帰りにスーパーへ寄って、帰宅して色々と家事をする生活もそろそろ終止符だ。次の修羅場まではそうそうそんな生活にはならないだろう。冬獅郎は別にそうしたって構わなかったが、一護は普段は気楽な生活をしているのだからといって家事を引き受けてくれている。それを有難いと思わないわけがなかった。
帰宅してまずベッドへ死んだように入っている一護を確認してから冬獅郎は料理にかかった。少しだけ食べるのに手間がかかる料理、久しぶりに紅鮭でも焼こうかと思い至ったのは、一護と向かい合って会話のある食事をするのが久しぶりだったからに他ならない。冬獅郎に全てを預けてただひたすら己の世界にのめりこむ一護を見るのも嫌いではないが、やはり少し寂しいとも思うのだ。料理を仕上げて眠る一護にひそやかに近づき、その安らかな寝顔に頬を緩ませた。

  一護」

囁きは、静かに零れ。

「一護、…一護」

呼ぶたびに込められる、愛しさよ。

「一護、目を覚ましてくれ、  一護」

ゆっくりと開く、震えた瞼。
  数日ぶりの、君の視線。







07.04.14 あさや
目を覚ました一護を日番谷はご機嫌でお風呂に入れるというどうでもいい設定があります笑
あまあま新婚夫婦ですー 相互ありがとうございました!(><)








あさやより相互リンクの記念に賜りました!
弁護士です! でもいつの間にやら新婚扱いでした(笑)
新婚で勿論いーですよ、その通りです。
人が抱える思いの複雑さを難しく書かずありていに書かれるあさやの凄さには憧れます。
こちらこそ、本当に有難う御座いました!